こんにちは!暁のぞみです!
私の持病ふたつ目の紹介は「尋常性白斑」です。
現在49歳の私が、この病気を発症したのが29歳なんです。 ちょうど20年経ちました。
尋常性白斑だと診断される患者さんは、100人に1人くらいだそうです。数字だけ見ると、かなり多い印象を受けます。
ですが、症状は人それぞれで、軽症の方もいれば、重症の方もいます。暁のぞみは重症に分類されると思います。
私が20年の間に訪れた病院、試した治療、傷ついた出来事、悩んだ日々を少しづつ紹介します。
尋常性白斑てこんな病気
専門的なことは様々な医療機関のサイトで公開されているので、割愛します。私からは簡単に説明しますね。
メラニン色素はご存じかと思います。シミの原因でどちらかというと、嫌われ者です。ですが紫外線などから体を守ってくれます。
このメラニン色素を作り出すメラノサイト(色素形成細胞)が、活動をやめちゃうのです。
皮膚は通常一定の肌色をしていますよね。色白の方も色黒の方もいます。尋常性白斑になると、メラノサイトが活動しない部分が白くなってしまうんです。
白くなるというか、色素がない肌ということです。これが体のいろいろなところで発生します。発生した場所によって、非分節型、分節型、分類不能型の3種類に分類されるようです。
疾患部分は痛くも痒くもありません。ただまだらに白くなるだけ。そう聞くと「たいしたことないじゃん」て思う方もいます。
生死にかかわり、日常生活も送れない病気をお持ちの方が、たくさんいることは事実です。ですがこの尋常性白斑、相当キツイです。
尋常性白斑を発症する原因
はっきりした原因は今も昔もわかっていないようです。ですが、体中に広がるほど重症タイプの方は共通点があります。ストレス。
これが原因らしい、といわれる病気ってかなり多そうですね。私がひとつ目として紹介した持病、中心性網膜症もそうでした。
転校した、転職した、引っ越したなどで発症する方がいるので、環境の変化などがストレスとなったのでしょうか?
私は結婚生活中に、夫と夫の両親に挟まれたことが原因だと思われます。ちょっとこじれる問題を夫と夫の両親がかかえていて、両親は息子に相談し解決を手伝って欲しかったのですが、息子である夫は、面倒で両親を避けていたんです。
私は意見するつもりも、首を突っ込むつもりもないので、両方から愚痴られる立場となりました。両親は息子が話を聞かないから何とかしてほしい、とか伝えてほしいと言い、夫は放っておけばいいで、全く解決できる状況ではなかったんですね。
当時次女が1歳になった頃で、育児と家事に追われているにもかかわらず、毎日夫の両親から日に数回電話があったんです。電話が鳴るたび、また愚痴だなー、嫌だなー、って日々を過ごしていました。
私が解決できることではなかったですから。
まだ携帯電話が一般的に普及する前でした。なので家電にかかってきてたんですね。夫が知らん顔だったので、本当に嫌でした。
この挟まれる毎日を2ヶ月くらい続けていたら、手の甲に尋常性白斑が現れたんです。私自身、この病気になったのは明らかにストレスだと思っています。
尋常性白斑が発症した時に私がとった行動
両手甲にまだら模様ができました。最初私は、木陰で日焼けしたのかな?と思いました。まさか病気だとは1mmも思いませんでした。
気軽にネットで検索できる時代じゃなかったので、よくわからず放置します。変だなって思ったのは、模様が日に日に濃くなったからです。放っておけばよくなると思っていたのに。
病院に行くか迷いました。医者に笑われるんじゃないかと思って。意を決して近所の皮膚科に行きました。
担当した医師は私の手を見るなり「これは病気で治療が必要、長くかかる」と告げ、紹介状がないと受診できない大病院へ行くよう言いました。
すごく焦りました。笑われるかもって思って訪れた病院で、紹介状を持たされるなんて思ってもいなかったので。
わけがわからない状態で、紹介された大病院へ行きました。ここで担当した医師は、おじいちゃん先生。有名病院だったので、私の不安をいろいろ解決してくれると思ったんです。
ところがこのおじいちゃん先生、医学書のようなものを読みながら、私の質問にうなずくだけ。答えてくれないんです。そして処方されたのが、円形脱毛症の薬と軟膏。
後にこのふたつは、全く効果がないとわかります。ですが、何もわからなかった私はこの病院に8ヶ月通います。そして気付いたら、症状が全身に及んでいました。
症状が悪化し、落ち込みながらも別の病院へ行ってみた
この最初の病院での通院、治療は、この後私の最大の後悔となります。
何もわからないけど大病院という安心感、これで8ヶ月無駄にしました。確かに今のように、すぐ検索できる時代ではなかったですが、自分の体に受け身が過ぎたと反省です。
なぜなら、尋常性白斑て最初の治療がかなり肝心だからです。全身に広がる前の局所的出現なら、治る可能性が高いからです。
ただし、私の場合、ストレスはその後も継続的に続いたので、結果的には今と同じだった、ということは十分考えられます。
大病院は、この後通院を一方的にやめました。理由は、全身に広がった患部を見せても、医師は治療法や薬を変えなかったこと、質問には相変わらず答えてくれないことです。
通院を自分の意志でやめてしまい、この頃の私は落ち込む日々が続いていました。ですが子供のアトピーで悩んでいた友人が、評判のいい皮膚科を教えてくれました。
その皮膚科、通えそうな場所にあり、なかなかの実績もあると聞いたので、行ってみることにしました。
最初の医師とは全然違い、私の患部を見た医師は「治るよ、大丈夫」と言いました。一番聞きたかった言葉なので、この日は泣いたかも。処方された軟膏は、白斑の治療薬としては一番有名と思われるステロイド剤です。
で、確か塗った後紫外線を浴びるよう言われた気がします。 この頃の尋常性白斑の一般的治療といえば、ステロイド剤を塗ったあと紫外線をあて、メラノサイトが再び活動を始めるよう促す紫外線治療。
多分保険適用の治療はこれだけだったように思います。紫外線を照射させる装置って一部の医療機関にしかなかったです。この数年後にはナローバンドという光線治療が一般的になります。こちらは白斑の治療以外でも幅広く使われているようです。
数か月通院するもよくならず、疑問が次々わいてきた
治ると断言されたのに、処方薬は軟膏のみ。1ヶ月経ち2ヶ月経ち、治療法が変わることもなく時間が過ぎます。最初の通院で時間を無駄にしたことで、再び不安が襲います。
患部は小さくなったような気がして、新しく出現していなかったように思います。そう考えると、治療は順調なんです。
ただ処方されたステロイド剤は副作用があります。通常は塗り方に注意し、全く塗らないお休みの日をもうけるそうですがそういった説明は全然なく、朝晩全患部に塗るよう指示されていました。
それから紫外線をあてるように言われたことですが、紫外線てよくないですよね。今現在では健康な方も、日焼け対策しています。メラニン色素のないところに紫外線をあてたら皮膚がんのリスクが高まります。
それに頭皮などに出現した場合はどうするのだろう?多分医師に疑問をぶつけてますが、答えをもらってないか、もらっても疑問が残ったと思います。
この頃から図書館で関連本を読んだり、ネットで白斑の掲示板をみつけて意見交換したりします。情報収集を始めたんです。
どこどこの病院のこんな治療が効いた、と聞いてやってみたいと思ったら病院を変えるを繰り返します。
治らないから転院を繰り返すが、結局治らない日々を何年も続ける
何年くらい治療したのか覚えていません。どこに通おうが、一般的な皮膚科へ行けば保険適用の治療をするんです。処方されるステロイドの軟膏が変わることと、医師の言葉がそれぞれ違うくらいです。
後半は医師から治ると言われても、うれしくなかったのを覚えています。
病院での治療と同時に、白斑にいいと聞いたものを片っ端から試してみます。ミネラルがいいと聞き、コントレックスやハイドロキシダーゼを飲んでみたりしました。漢方がいいと聞き、近所の薬局に相談しにいってみたり。
巷では根拠のないいろいろなものが、噂になっていたように思います。治したいからです。お金がかかっても、絶対治るなら試したい。でも確実に治るものに出会えないんです。
そして私も今回ブログで紹介するにあたって、尋常性白斑の治療ガイドラインが2012年からできていたことを初めて知りました。根拠のない治療が出回りすぎて、ガイドラインができたようです。
発病から1年経った頃、離婚しました
私の中で、発病の原因は夫と夫の家族。通院生活が始まり、よくならず悪化し、ストレスが原因ぽいと知り、発病当時の事を思い出し、ぐちゃぐちゃでした。
私の病状が悪くなろうと何だろうと、夫の家族は相変わらずもめていました。 夫の知らん顔も続いています。病気で通院しているから電話を控えてください、と義母に伝え、両親と話をするよう夫に頼んでも何も変わらなかったのです。
このままでは死ぬかも、って真剣に悩み、幼い娘たちのためにも自立して離婚しようと決意します。そして、最初の病院の通院をやめた頃に仕事を始めました。
仕事を始めたことで、電話地獄から逃れることができました。休みの日は子どもを連れて、朝から出かけることが多くなりました。子どもたちと過ごす時間は、私にとって最高の幸せだからです。
そして夫もむかしからひとりが好きで、部屋にとじこもって1日中パソコンやっているのでちょうどいい。私は家族の時間を大事にしたいタイプなので、今までは夫に買い物行こうとか、公園行こうとか誘っていたんです。
夫は私とは反対に、休みの日は自分の好きなことがしたかったようで、私からの誘いは嫌だったみたいです。
離婚を決意し、自分のペースを作ろうとしたらいろいろいい方向に向かいました。なので仕事を始めて3~4ヶ月経ったころ、夫へ離婚を切り出し、その2~3ヶ月後くらいに別居し、その1ヶ月後くらいに離婚しました。
簡単ではなかったですよ。病気と闘い、子どもを育て、新居と同時に保育園を探し、離婚の話し合いをしながら公証役場と家庭裁判所へ行き、仕事もしていました。ですが気持ちはすっきりしていました。
保険治療では治らないと悟りました
白斑発症後7年くらいの間、ずっと治療を続けています。
ですが完治とは程遠いんです。ステロイド軟膏を塗っている患部は、進行が止まったようで、なんとなく小さくなっているように感じますが、どんなに小さい白斑でも、治ること(消えること)はありませんでした。
ノーマークだった別の場所に新たに出現したりします。疲れていたり、落ち込んでいる時に新しい白斑に気付くと、涙が止まりませんでした。
治っている、という実感が全然持てないからです。新しい白斑を医師に見せても、薬を塗るよう言われるだけです。薬を塗っている箇所がなんとなく小さくなってても、別の場所に白斑が出来ているなら、治療は順調なんでしょうか?
疑問しか残りません。治っている人がいるから大丈夫、と言われて喜び、全然治らなくて落ち込む、をずっと繰り返します。疲れてきました、さすがに。
ネットの掲示板を見ても効果があった、という方にはたくさん出会いますが、完治しました、という方には出会っていません。
治った方は、小さな白斑が体の1か所にできて、軟膏塗って治りました、というものばかり。私のように全身に白斑がある方が治ったという情報は、得ることが出来ませんでした。
治ると言った医師に突っ込んで質問したことがありますが、治療したところ限定のようで「よくなった」という言い方をしていたと思います。
私の治したいとは全然違っていたので、イライラしてしまい、感じの悪い患者になってしまいました。
このまま軟膏を塗る治療を続けるべきか悩んだ末、治らないと自覚し、白斑と上手に生きていこうと考えることにしました。
苦渋です。治ることをあきらめたくはなかったですが、どこへ行っても同じことを繰り返していると自覚せざるを得ず、希望を持っては打ちひしがれることに疲れたからです。
尋常性白斑その1まとめ
今回は何年も治療して、治らず、それを受け入れようと考え始めたころまでをまとめました。
完全あきらめたわけではないのですが、保険治療には限界があり、治せないということも仕方ない、と理解したというのでしょうか。
白斑自体を無視することや、目を背けることは無理なんです。なので病気と共に生きていくことはやむを得ないと悟ったわけです。
こんな風に考え方を変えてみましたが、この先もまだまだ長い白斑人生が続き、辛い出来事にも多々遭遇します。
病気にならないと辛さがわからない、と言いますが白斑はその辛さを想像することが難しいようです。
隠せば済むよね、と簡単に終わらせられちゃうんです。痛くないし痒くないから、何が辛いのかと思われています。
このあと違う目線で白斑と向き合い、さらに色々試したことを紹介する予定ですので是非読んでください。